はじめまして ~このブログについてのご注意

注意事項です。念のために、書いておきますね。

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サラリーマンですなぁ。

昨年の9月はインフルエンザにかかってえらいことになりましたが、今年の9月はお腹を壊してうどんと雑炊ばかりで暮らしている、なんとも言えない新たな月の立ち上がりです。

少し上司と意思の疎通ができていないときがあったのですが、最近ようやく上手い具合に意見交換できるようになって来ました。ようやくです。かといって、状況が打開されたわけではないので、そこからまたひとつずつステップをクリアしていかなきゃいけないわけなんですが。

ディズニー7つの法則』を読んだせいなのか、それとも年をとっただけなのか、チームだとかワークグループだとか、仕事上の人間関係やパワーバランスについて気になることが増えてきました。元々そんなに熱さを前面に出すタイプではなく、かといって冷静なタイプでもなく向こう見ずに行動してしまうので、前のボスには随分と迷惑をかけていたように思います。後輩への気配りとかめんどーだしやりたくねぇって思ってたんですけど、フロンティアな仕事をしているのでそろそろノウハウの共有化についても考えなくちゃいけないし。

そんなこんなで、まずはもっかい上司とちゃんと意思疎通すること方はじめないといかん、と。それがようやく実を結んできました。ううん、サラリーマン的なお話ですなぁ。

先日、ふだんからいろいろとお世話になっている人と久しぶりにゆっくりお話する機会がありました。別業種ですが営業暦20年のバリバリ営業マン。いつも情熱たっぷりで、明るく物腰丁寧に声をかけてくれる素敵なおっちゃんです。本郷の定食屋にてランチをしようと相成りまして、「営業」という職業について話を聴きました。恥ずかしながら、営業のスキルについて細切れに考えたのは入社以来あまりなかったので、「なるほど」とうなずきっぱなしの2時間。

その方いわく、コミュニケーション能力など基礎的スキルは大前提としてある上で、今営業をやるにあたって大切なことは3つあるそうです。

まず、現状を把握して、そこからいかに問題や改善点を発見できるのかということ。特に、データを俯瞰的に見て、そこから問題点を発見し改善へつなげていくのは非常に難しいことです。マクロとミクロをきちんと使い分けて、問題を発見できる人って意外と少ないそうです。

次に、その問題を改善するにあたって必要になる正確な事務処理能力。当たり前の話ですが、問題を改善しようとすると社内では他の部署の人とも話をすることになりますし、当然社外の人と協力しながら解決していくケースもたくさんあります。そんなときに、きちんとミスなく事務処理ができているかは営業として非常に大切な能力だと力説されました。単純ミスが多い僕としては、反省しっぱなしの話です。

最後に、プレゼンテーション能力。これは特にここ数年で必要性が叫ばれている力なのだそうですが、できているようでできていない人がとても多いとのこと。つまり、きちんと話せていても、話したいことが相手に全然伝わっていないケースが多いそうです。コンパクトに、丁寧にどれだけ話せているのか。自分のプレゼンを思い返すと、ちょっとげんなりしてしまいます。

こうやって書くと、3つとも当たり前に身に付けていなきゃいけない能力なのですが、あまりに自分に身についておらず結構ブルーになりました。ほんと、実際にバリバリ営業で結果出している人から、具体例を挙げられて(ここでは書けない話しばかりだが)話されるとぐうの音も出ないほど説得力がある。仕事できてねぇな、自分……。そんな気分が体中を駆け巡りましたよ。

そろそろ20代も後半へ突入します。来月には組織改編もあるしいつまで自分が今の立場なんだろうかとかそんな話も含めて改めて、自分自身をちゃんと仕切りなおさなきゃいけないと痛感する今日この頃です。

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天気読み。

争いも恋も仕方ない夏休みに突入しました。
ようやく長期のお休みです。とはいっても、実家へ行ってバタバタ過ごすので、あまりゆっくりって感じではありませんが…。布団を干したりシーツ洗ったりしたかったので早起きしたら、雨。実家へ行く前に終わらせておきたかったのにー。
お天気が悪くて新幹線遅れたりしないかなー。どきどき。今日の晩は本社の人と飲みます。久しぶりなので楽しみです。

チケット買う順番が迫ってきたので、この辺で。諸々は今度書こう。

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スキマ時間です。

阿佐ヶ谷に初めて来ている。ちょっと時間があるのでケータイから。

予想外に下町で、しかも活気のある感じがする下町具合に驚く。隣で子供連れの親子に知らないおばちゃんが次々声をかけてて、それを自然と受けとめてるのも身の回りにはあまりない景色なので懐かしい気分になる。前に一度だけ訪れたことがある中野を思い出してみると、そうかこれが中央線沿線の空気なのかと思ってみたり。

こうやって知らない街でぼんやりしてみるのも面白いですね。読みかけのゲラ持ってこなくてよかったですよ、ほんと。

あ、そろそろ時間かな。

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生産的な話をしたいという非生産的な話。

もじゃもじゃと考えていることはたくさんあるのだけれど、ちょっと仕事の話とそれ以外の話を分割した方がいいかなぁなんて考えております。ここは見る人が見れば誰かわかるんだけど基本的にはわからなくしていて、それ故になかなか個別具体的、例えば自社商品の話についてとかは触れないようにしているんですよね。ただ、それもちょっとどうかなぁと思うようにもなってまいりまして。Twitterとリンクさせた新しいブログを作ろうかと本格的に考え中です。どこでやるかとか、どんなデザインで名前にするかとか、どういうスタンスで書くかとか、全然考えてないんだけど。しいて言えば、綱渡りブログにしようと思っているくらいかなぁ。

昨日けんちゃんと久しぶりにskypeで喋っていたのだが、相変わらずな話になったのでメモ的整理しておく。

ひとつの問題を考えるにあたって、その問題自体の善悪に言及するケースと、その善悪はハッキリしているのでなぜその問題が起こってしまったのかを言及するケースがあると思う。例えば、小学校の頃にクラスで誰かが誰かをどついた、なんてことはたまにあったろう。その時、どついた人間はその行為を「よろしくない」と言われるのだけれども、一方で「なぜどつかざるをえなかったのか」も考えなければならない、ということがある。

一方的にひとつの表出した事象に対して糾弾するだけではなく、その背景を知ることによってその事象の周りにある現象を知っていかないと思考停止になりますよ、と。

そんな話を深夜のノリでつらつらとしていたんだけども、オーディオインターフェースとレイテンシーの話だったのがなぜその話題に変化して、しかも自分が乗っかっていってしまったのかというと、この前読んだ『もやしもん 9巻』に起因するのである。

このマンガはドラマにもなっているので説明不要だと思うが、ある農業大学へ通う大学生と、彼が所属(?)している研究室のゆかいな仲間たちの話。そういえばけんちゃんには冒頭に紅茶の話しが出て来るんだよ、なんて言うのをすっかり忘れていたのだけれど、今回はその話の後に食料自給率の話題が出てきている。

食料自給率上昇のために規格外野菜を使えないかと実験した農大生の話がエピソードの発端になる。この実験も、いかにも大学生らしい切り口や考え方で著者に感心をしてしまったのだが、展開はその実験結果に大学院生が「そもそも論」をぶつけていくといった構図だ。

カロリーベースの食料自給率40%は、その数字だけ見て危機を盛り上げても無意味だ、と。

誰が誰に対して自給率を上げるように言っているのかわからない、と。

最後に食品廃棄という別角度の問題を挙げながら、その解決を図れば食料自給率の増減関係なくエコロジーに貢献できると言うんですね。その後、樹教授がカロリーベースの自給率への定義論争をしてさらなる「そもそも論」を展開してるんだけど、それは本書と同じく割愛。

つまり、食料自給率問題とは数字の増減に問題があるのではなく、その周辺にたくさんの問題が介在している。ってか、そもそも自給率の数字自体どうなの?って話にまでなる。そういう周辺事情を説明せず、「上がったからよかった」だの「下がったからイカン」だのと言っていても仕方ない。

ひとつの問題を前に進めるためには、その問題を二元論的に分割しても仕方なくて、じゃあこれからその問題を極力減らしていくためにどうしたらいいのか生産的に考えなきゃいかんのよねということを、これって『もやしもん』に出てた話だなぁと思いながら深夜のノリでうじゃうじゃと話していたわけです。社会学部出の人間がいい年してふたりで深夜にこんな話をしていると、『人生で大切なことはみんな社会学から教わった』的な本が出てきてもいいよなぁとか、考えてみたりして。

こうやって人気のコミックがフックになる問題提起をしているのだから、「『もやしもん』から日本の食を考えるフェア」とかできないかなーと思ったりしてみました。というのも、この後に近藤正隆さんが書かれた『だから僕は船をおりた』(講談社)を手にとってしまったので。東京生まれで漁師にあこがれ北海道に渡り、インターネットショップ運営を経て地域プロデューサーとし活躍されている近藤さん。農ではなくて漁業なんだけど、生産側からの考え方を自らの人生を紐解きながら紹介しています。

この本はおそらく『もやしもん』を読んでいなかったら手に取らなかったでしょう。加えて、僕自身が今、「必要な人に必要なものをどう届けるのか」ということを考えているため、近藤さんの生産者と消費者の「つなぎ役」という言葉に惹かれたのだと思います。マッチングの問題ってこうやって自分の購入体験を考えていくと結構ヒントが見え隠れしているんですよね。自分が理解を深めたいと思ったときに指し示す道みたいなもの。そういった演出力が必要不可欠。

どういう形でそれを可視化できるかを今後考えていかなきゃいけないのですが、それは別のお話になってしまいますし、洗濯機が止まってしまったので今日はこの辺で。

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なんとまぁ。

言いたいことがよくわかんなくてもやもやしてたんですが、言いたいことを言われてしまった気がするのでだらだら書くのをやめてリンクを張ってみる。

ボーダレス時代の出版について』「smashmedia」(2010.7.23)

マッチングの問題とかマーケティングの問題とか、耳が痛い話である。ほんとに。先日もTwitter見てたら「出版点数減らしても質が上がってる気がしない」と、ぐさりとくる指摘もあったばかり。

先日イベントで津田大介さんが「本を読みたいんじゃなくて、テキストを読みたいだけなんですよ」って話をしていました。まさにその通りだと思います。電子書籍が普及するかどうかは別として、電子書籍の登場が出版の枠組みを再考させたのは確実なんですよ。

で。

枠組みが変わっても中身は変わらない。届け方が変わるから方法論はたくさん出てくるんだけど。

作り手と売り手と受け手を上手く循環させることを考えたいものです。

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カタカナは苦手。

営業にいながらそれほどマーケティング界隈独特の言葉を使わずに仕事をしているせいか、基本的なカタカナ語を上手く使えません。というか、苦手です。概念的なことをカタカナにまとめられてそれらの言葉をそれっぽく連呼されてもイマイチぴんと来ません。ってか、不便。場所場所に合わせてきちんと説明してほしいと思う場面が何度もあります。

そんな僕ですが、最近どうにも頭から離れないカタカナ言葉があります。それが『ペルソナ』。ゲームじゃないよ。マーケティング用語の方ね。

ざっくり言うと「架空の顧客モデル」ってこと。

何年経っても同じ場所をぐるぐる回っているのは成長がないと思うけど、ほんと、大事なのはひとつの商品に対して自分の中にいくらペルソナを持っているのかってことだと思う。別にクラスタ分析やSWOT分析がどうのって話じゃなくて、「誰?」って問いに耐えうるだけの答えを持てているかどうか。スタジオジブリの宮崎駿が『千と千尋の神隠し』をスタッフの娘さんひとりのために作ったと語るような、そういうレベルの話で十分なのです。

僕は別に「こういう悩みを持つ人やこういう傾向の人たちへ」とか「この年齢のこういう人たち」って提示はダメじゃないと思うし自分も結構頻繁に使ったりするけど、「じゃあその人たちってどんな人なの?」っていう固形化したイメージ像が持てないとただの妄想の域を抜け出せない気がするんですよね。最終的にはエンドユーザーがどんな場面でその商品を求めるかを考えなくちゃいけないわけだから、あやふやなターゲット設定ではなく明確な“像”を示してほしいのです。

作り手と売り手でそれを制作段階からやりとりすることがとても大事だと思うんだよなぁ。

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食べるに食べられない。

この時間の会社帰りにいつも考えてしまうんだけど、晩ご飯どうしたらいいんだろう。お腹減ったんだけど、いくらなんでも今からがっつりは食べられない。大学時代とは違うのだ。でも、このまま眠るのも耐え難い。毎度の悩みどころである。

あ、川崎に着いた。

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紫陽花。

ちょっと気を抜くと随分期間が空いてしまいましたね。ただ、このくらいの更新頻度がもしかしたらちょうどいいのかもしれません。と、自分のなまくらな部分をごまかしてみたり。ワールド杯を見たりしつつ、先週末久しぶりにゲームを買ったりしてしまって、Twitterでお茶を濁しているなぁ。そんなことやってたら見事に体調崩してるし。

なんて、毎度のことを考えている間に、外では紫陽花が花開き始めました。どうでもいいことですが、実は紫陽花の花がとても好きです。手鞠サイズくらいの花が梅雨入り頃にいつの間にか咲いていて、夏前には知らない間に消えていく。結構長い間私たちの目を楽しませてくれるにもかかわらず、桜のように枯れて散っていく姿を惜しまれることもない。やっぱり日本人は一瞬のきらめきのようなものに美しさを感じるからでしょうか。それとも、単に咲く時期が梅雨で陰鬱な気分になってしまうので、早く過ぎ去って夏になってほしいと思っているからでしょうか。もしそうであれば、なんだかとても不運な花のように思えてなりません。

この季節になると決まって語られることですが、紫陽花は2つの対極的な花言葉を持っています。ひとつは、花の色から由来する「移り気」や「浮気」の類。紫陽花は土のPH濃度を変えることによって、次年に咲く花の色をコントロールすることができます。たしか、白いものはもともと種類が違ったはずですが、ピンクと青の種類は人為的にどちらかへ変えることができるのです。そういった性質からこのような言葉が当てはめられたようです。

もうひとつは、「辛抱強さ」といった類の言葉。こちらは紫陽花が1ヶ月ほど花を咲かし続けるところから由来する言葉です。公園の横っちょや家の鉢植えなんかでもちゃんと6月の間は目を楽しませてくれますからね。たしか、どちらかの花言葉がフランスの花言葉だったと記憶しているのですが、そこは覚えが曖昧。昔、番組で喋るときに使ったきりの知識なので。

なんだかんだで気分が滅入りっぱなしの6月ではありますが、ほんのちょっとだけ残っている空元気を使ってなんとか乗り切りたいところです。

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困ったなぁ。

Twitterがキャパオーバーです。最近めっきり長文を書く機会が減ってしまったので、ちょこちょこ書き連ねている駄文を読んだだけでもより文章がへたっぴーになってしまったと痛感しています。このところインプット自体がかなり減っているので、ちゃんとアウトプットできるほどの生活ができていないのも事実。

良くないですね。

社会人も5年目に入ると、当然の如くより高いものがどんどんと求められる立場にもなってきます。にもかかわらず、今時点で現状維持の施策と暗中模索状態の懸案事項ばかり。ブレイクスルーがなく、焦りとフラストレーションばかりが溜まる毎日です。結果がすぐに出ないことは重々承知なんですが、やっぱりハラハラしちゃうんですよね。そもそも、今やってることが結果につながるのかすら未知数やし。むむむー。

いろいろな本を読んだりさまざまな人と話をして、新しい視点をちゃんと身に付けないとなぁ。精進しないと。

ちなみに、最近自炊率が上がってます。平日もちょくちょく自炊してます。ただ、残念ながら久々にジャンクフード率も上昇中。自炊の意味がない。。。いらいらすると食生活が乱れますなぁ。いかんいかん。

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『告白』

今年は映画を劇場で50本は見ようと思っている。Twitterにメモしていてブログには書いてないですが、今のとこを順調。月の立ち上がりは必ず注目の映画を見るようにしている。先月は『アリス・イン・ワンダーランド』、先々月は『ソラニン』、その前は『おとうと』ってな具合で。

そんでもって、今月はこれでした。

告白
監督:中島哲也
配給:東宝

話題作とは聴いていたけど、ほんとすごい映画ですよ。あと数回は映画館で見たいくらい。まさに鈍器で頭を何度も殴打されるような衝撃が続く時間でした。

原作は、ご存知の通り湊かなえのベストセラー『告白』。原作の読後感の悪さが只者ではなかったので(もちろん、面白くないという意味ではない)、あの中島監督がこの物語をどう見せるのかとても期待していました。

やられましたね。がっつり期待以上。

今作は人の描き方が本当にリアル。教室内の生徒ひとりひとりを丁寧に描いていて、そのせいか登場人物のほとんどが思春期の屈折した素直をさまざまな形で持っているように感じる。加えて、冒頭で松たか子演じる森口悠子が「ひとりの人として対等に接する」と宣言してしまった。主要の人物設定が対極的な対立構造にならなかったことが、まず大きな特徴だ。

教室のリアルな空気と、そこに泥のように渦巻く感情を持ちながら同じ目線で入ってきた大人。そこにはちょっと違う「素直さの表出」を見ることができる。

冒頭の森口の宣言シーンを見てもわかる通り、迫られる側の子どもたちの精神は脆い。当然といえば当然。森口の素直さが「教室」というひとつの集団を突き動かしていく姿に、えもいわれぬ恐ろしさを感じてしまう。カーニバル化と言ってもいいのだろうか。教室の大多数はほぼ同時に一方向の祭り状態へと流れてしまう。思春期独特の本音を言い合えないレイヤー構造の中、彼ら彼女らの築いた群生秩序では森口のインパクトに耐えることができなかったからだろう。よって、この秩序に元々入り込めていなかった2人が浮いてしまう結果となった。

一方で、森口は生徒のように相手との距離を慎重すぎるまで測る必要がない。彼女には復讐という明確なゴール設定がある。そこへ向かう素直さを持ったまま対等な立場で行動することによって、秩序が脆く揺れる存在である生徒と突き進む森口という対立構造が、物語のリアルな展開の中で徐々に表現されるのだ。恐すぎる。

この映画には日本人独特の気質や社会問題が数多く内包されている。にもかかわらずそれが前面に出たり、ここぞとばかりにそのことを糾弾することはない。ただ、見せるだけなのだ。おそらく、中島監督はそんなものをこの映画で描こうとしていないのだろう。リアルに描いてしまったので自ずと出てきてしまっただけ、のように感じる。

映画はラストカットという目的に向かうために、ひとつひとつ原作を崩さぬよう注意して歩を進めている。そこに監督の味がちゃんとフィットしている。色使いや、コマ割りが絶妙。加えて、松たか子の群を抜いた演技力とそれを活かす演出。

原作と同様、鑑賞後の後味の悪さは盛りだくさん。ただ、見ておいて絶対に損はない1作。ハリウッドからオファーが来てるらしいけど、これは日本人独特の空気が描かれているので海外でどこまで評価されるかは難しそう。単なるホラー映画にならないことを願うなぁ。

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«たくさん出てきていますね。