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昨日のエントリを書きながら頭に浮かんできたこと。

なぜだか無性に斉藤和義が聴きたくなって、週末からヘビーローテーションになっています。『僕の見たビートルズはTVの中』などを聴くと、やっぱり忌野清志郎の影響が色濃く出ているよなぁと思ってしまいました。調子に乗って『月影』のギターコードを弾いてみたら、昨日から左手の親指の付け根が痛いです。バレーコードでフレットを押さえるときに親指の力の入れ具合がよくないみたい。むむむ。

昨日、博報堂発行の『広告』の対談記事についてこんなことを書きました。その中で、「成り上がろうと思ってニコ動に動画アップしてる人はいない」って書いたんですが、そこで思い出したことがあったので書き留めておきます。一緒のエントリに書いちゃうとごちゃごちゃしちゃうんで、追記という形で。

というのも、生産と消費のボーダレス化とはまったく別の話。

「成り上がろうと思ってなくて生産活動をする」日本人の特徴と、ウェブ上のプラットフォームに「成り上がりたい」と思って生産したものを載っけてくアメリカ人の話は、学生時代にある人から聴いた「東京」と「地方」の話に似ているなぁ、と。

大阪のラジオ局であるFM802のアートプロジェクト「digmeout」のプロデューサーを務めてらっしゃる谷口さんにお話を聴いたときのこと。

「ラジオ局でアートプロジェクトって、見えないから意味ないじゃん??」なんて思ってしまうかもしれません。ただ、谷口さんの「見えないからこそあえて見えるものにこだわりたい」という言葉に、事前のセッションで「文化のポータルになりたい」と語った同局幹部の方の言葉を思い出してしまいます。

このプロジェクトについてはサイトを見ていただければいい話。なぜこのプロジェクトについて思い出してしまったのかというと、谷口さん曰く「digmeoutは地方でしかできないこと」とおっしゃっていたからです。東京でアートをしている人は、「イッパツ当てたる!」とビジネス志向先行型の人が多いそうです。一方、大阪でアートをやっている人(若い人)は上昇志向バリバリの人が少なく、アート活動自体がアイデンティティのひとつになっている人が多いとのこと。そういう人たちの「私を見つけて」という叫びを聴いて、その力を世に送り出すお手伝いをするのが「digmeout」だそうです。

成りあがりたいと思いながら行う生産活動と、そうでないもの。

そこには大きな違いがあるはずです。成り上がり志向が目的化している生産活動と、生産活動や生産物自体が自らのアイデンティティとなっているものでは、生産における本質的な基軸が異なるはずです。善し悪しの話ではありません。両者には明らかに違いがあるということです。

この違いは宇野さんの言う「集団の無意識のもつクリエイティビティ」とは別の話。というのも、消費側でなくて両者が生産側にいるから。その人の生産活動の根源がどこにあるのかというだけのことで、消費する側が両者を受容してリアクションを行っていくことでボーダレス化が生まれているのです。ただし、「私を見つけて」と叫ぶ若者は、その能力を見つけられないまでは「消費する側」であって、「digmeout」プロジェクトは彼ら彼女らを「生産する側」へとつなげていくメディアとなっているのでしょうね。

ほんとに、大阪の「文化のポータル」としての立ち位置を崩さず、地域から世界中へ情報発信してます。メディアの本質を行く姿には、ビジネス書という狭い始点になりつつある僕にとっては見習うべきことが多くあります。

あ、ちなみに専属アーティストでは木野下円さんがすきです。

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雑誌の講読をお願いしてみた。

会社で『宣伝会議』か『販促会議』か『広報会議』を定期購読してくれるようにお願いしてみたら、『販促会議』くらいはなんとかなりそうな感じになっています。前にお願いしたときは即却下だったのですが、この手のひらの返し方に年度末の嫌な予感が横切らずにはいられない今日この頃。

で。

課長が専務にそんな話をしたら、なぜだか博報堂が発行してる『広告』の最新号をもらいました。つーか、なんでうちの会社に2冊もあるんだよって話は笑顔で飲み込んで。雑誌のラックに置いてあると気になってしまって、「メディア論好きな人には面白い雑誌だけど、誰が読むのかねぇ」なんて思いながらぱらぱらめくってます。今号も同じようにパラリとめくってみたら、なんと濱野智史さんと宇野常寛さんの対談が載っているではないですか。特別対談と銘打たれたタイトルは「いま、ネット空間では何が「生産」されているのか」ということで、いつもどおり思うところをメモ的に。

トフラーのプロシューマー概念をもとに、今の日本のものづくりとそれを享受する側の行動の特徴について対談されています。この手のものを読むと「肌感覚で、なんとなくそうなんだろうな」としかとらえていなかったことが、「なるほど、まとめるとそうなるのか」という、現場感覚ではなかなか見えてこない体系的な落としどころをちゃんと言葉にして改めて確認できるんですよね。理論的なことって「そんなの知らなくていーよ」と嫌う方もいらっしゃいますが、アカデミックよりのメタ視点は自分だけでなく今の世の現象、社会を知るひとつのツールだと思うのでちょくちょく読んでます。

今回はプロシューマーの話から日本人の消費と生産の境界線の希薄化について書かれてます。ボーダレス化がアメリカ人には見られない日本人の特徴だ、と。一方で、濱野さんは「アメリカでは才能があれば、ネット上での表現でいつでもスターダムに上がっていける」と、個人主義的な背景にネット上のプラットフォームがマッチしているかのような話をしています。「おいおい」と、ちょっとアメリカン・ドリームをデフォルメしすぎている気がしなくもないですが、これって案外納得できちゃいました。大学時代のゼミ合宿だったでしょうか。教授と「匿名性」の話題になって、日本人と欧米の「匿名」に対する価値化や目線の対極的な相違について酔っ払いながら話をしました。したたかに酔っていた記憶があるので話の詳しい中身は覚えていませんが、ものすごくかいつまんで要約すると日本人は大衆と同化する傾向が強く、欧米での大衆は個が集合したものを指すのではないか、なんてことでした。

何が言いたいかというとそんなに小難しいことではなくて、「成り上がりたい」とか「ビッグになってマネーをゲット」とか、そんなことを考えながらニコ動にアップする動画を作ってる人は少数派だよなぁってこと。宇野さんは、生産したものを消費する人がそれを下敷きに何かを生産して、生産者がそれを取り込んでいくような形で成り立っているところがあるって話をしていて、その代表がガンダムだと言ってるんですね。ネットの集合知のようなものが、ネット以前から日本にはあったと。

いつぞや一億総クリエイター時代なんて言葉を聴いて、「勘違い感」をバリバリに感じてしまったことがありました。だれでもクリエイターって、もうその時点でクリエイターちゃうやん。それってクリエイトじゃなくて、生産されたものに対するただの「リアクション」。受け手がマッドムービーとか作っちゃうのも、生産ではなくてリアクションの範疇。で、消費者のリアクションと生産活動の区別がつかなくなってるからボーダレス化になっていて、それは昔から一部であった話で、ネットなるプラットフォームが出来上がってきてそれが顕在化しただけの話ではないかってこと。まぁ、対談で言ってることと同じ話ですけど。

だからこそ、「送り手と受け手の共犯関係」が可能になるんだろうなぁ。

「バラバラに散らばってしまった消費者たちと共犯しつつ、今までにないクリエイティビティを発揮していくしかないだろう」

コンテンツとともに、その周辺のコミュニティ形成を利用しなければ生産したものが広く享受されないってことなんですね。なるほど。そう考えると、ディスカヴァーさんがやってるブログなどはいい循環として機能してるんでしょうね。コミュニティ形成を干場さんが非常に巧みにリードしていってるように見えるので。2年くらい前に会社の人と「シーンを作る」みたいな話をしたことがあったんだけど、そうじゃないんだね。シーンってのは結果として見えるものであって、それはコンテンツとその周辺にたくさん発生したコミュニティの力によって見えてくるものなんでしょう。

共犯関係の表現を「完成度が低いと批判するのは安直だ」と書かれていますが、それはそれでまた別の話ではないでしょうか。パッケージとキャンペーンは分割して考えないと、そこもボーダレスになってしまうと「作品」自体の質の低下につながってしまう可能性があります。今までの基準に加えて、トータルのキャンペーンで評価する基準も必要だってことですよね。要するに、例えばひとつの映画とUSJのWEBキャンペーンのようなものが一体化した形のものがあったとしても、映画自体の作品と全体としての影響力は別個で考えましょうということ。

それにしても。

こうやって考えていくとリップマンとかブーアスティンとかラザースフェルドとかもっとちゃんと勉強しときゃよかったなぁと思ってしまいます。ま、概念的なものを理解してもそれをどう実践するのか考えないと意味ないんですけどね。

はぁ、来月からはもっと動きやすくなるなぁ。

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『マイレージ、マイライフ』

会社のテーブル内での席替えを、なんだかとても希望したい、そんな気分の春です。

テンションが低いので昨日も今日も早々退社。最近PR関連の仕事は家でやるのが板に付いてきました。家のPCのスペックが追い付かないのでそろそろ買い替えを検討したいのですが、それには懐が追い付かず。しばらくはがんばってもらわないと。

さて、気分を切り替えて。

マイレージ、マイライフ
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:ジョージ・クルーニー、ジェイソン・ベイトマン、ヴェラ・ファーミガ

年間322日も出張し、リストラ宣告を行っているライアン。「バックパックに入らない物は背負わない」がモットーだ。面倒な人間関係を嫌い、出張先で出会った女性とその場限りの情事を楽しむ毎日だ。貯まったマイレージは1000万目前。しかし、その目標を阻む者が現れた。新人ナタリーが、ネット上で解雇通告を行うという合理化案を提出したのだ!
goo映画『マイレージ、マイライフ』 作品解説・紹介 (2010.3.24)

今年見た中では頭ひとつ抜けていい映画でした。この対比はとても面白い描き方です。

主人公ライアンはリストラ宣告の代理店に勤めています。見るからに敏腕であり、アメリカ中を飛び回る生活。家に帰るのは年間数十日で、まさに飛行機とホテルが我が家と言ってもおかしくない存在です。彼自身も飛行機のマイル貯蓄を楽しみに生活をしています。家族を気にすることなく、独りで気ままな生活。もちろん、結婚なんて眼中にはありません。そんな彼の前に、ある日ひとりの新入社員、ナタリーが現れます。

彼女は大学を首席で卒業したエリート。面と向かってのリストラ宣告を廃し、チャットを介してフローチャートでマニュアル化された新しい事業スタイルを提案。出張&人件費のコストカットを主張します。最初は小馬鹿にしたものの、上司は本気。なんと彼は彼女の実地研修を引き受けることとなりました。しばらくアメリカを行ったり来たりしている間に、彼は彼女と自分があまりに正反対であることに気付きます。

彼女は仕事も恋も結婚も子育てもバリバリやってきたい上昇志向の塊のような人。ただ、恋人に振られて泣きだしてしまうなんて、幼い印象付けもされています。このキャラクター設定が巧みなんですね。冒頭ではさも「勘違い人間」で「現実を知らない学生」といったストレートな位置づけなのですが、物語が展開するにつれ徐々にライアンの生き方を侵食していきます。もしかしたら、自分は違う道を生きてもいいのではないかと、ライアンの顔つきがどんどん変わっていくんですね。

その考えに拍車をかける存在として登場するのがアレックスです。割り切ったものとしてスタートしたはずの関係にライアンはどんどんのめり込んでいきます。その度に、人間関係のしがらみをできるだけ排除して気ままに生きてきた自分の人生を自問します。今まで貫いてきた生活スタイルに対して、次々と疑問や葛藤が生じてくるのです。

些細なことから今までの自分の人生に対して次々と生じていく迷いや疑問。それらを重々しく描くのではなく、淡々と描いているところにこの映画の魅力があります。飛行機に乗るように、空を飛び全米を旅するように。ライアンは2人の登場とともに徐々に変化し、最後には自分の今までの行き方と正反対の方向へ行ってしまいます。そしてそこを経験した後に、最終的に今の自分の立ち位置まで戻ってくるプロセスが、とてもにくい演出なんですよね。「He is lost」とか、切なすぎる。

今の仕事に対して何らかのネガティブな感情を抱いたことがある人、ものすごくポジティブな人、両方の人が見ても必ず得るもののある映画だと思います。ぜひ、劇場で見ていただきたい1作です。

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どうやら電車が止まっていたらしい

東京ローカルの電車の話を全国ネットのトップニュースで長々やることなのかねぇ。大事なニュースだとは思うのですが、あくまでもローカルニュースの枠内ではないかと思ってしまったのですが。

政治的な話題ばかりだと暗いし重いし飽き飽きになるのもわかりますが、時間配分と順序は全国ネットであることを考えてチョイスしてほしいなぁ。

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ラジオがWEBでサイマル放送している。

なんて話題、遅ればせながら書いても仕方ないかなぁと思うのでサラッとメモ。

この前自分の卒論見直す機会があって、そういえば僕はデジタルラジオ放送について書いていたんですよね。もう既に頓挫してしまった計画。ニュース見たときは悲しかったなぁ。まったくなくなってしまうことはないようですが、当初とは違う方向へ話が進んでいるようです。地上波アナログと地上波デジタルのサイマル放送は実現しそうにない模様。

radikoは音質もクリアだし、うちは隣にマンションができて以来電波状況が変わってしまってもっぱら雑音リスナーだったので、ありがたいといえばありがたい試みです。ただ、WEBとのサイマルには素人ながら問題があると思っちゃうんですよね。

著作権等の法的な部分も問題は多そうですが、一番気になってしまうのは番組制作の判断基準が変わってしまうのではないかということです。ラジオ放送の場合、お店のBGMを思い出してみればわかりやすいですが、ラジオ局に対して固定のリスナーがついています。周波数を合わせちゃうとなかなか変えませんよね。ただ、オンエア中の番組が縦並びになって番組表も簡単に見えちゃうとなると、当然今まで「ちょっとイマイチなんだよな」と思っていた番組はたやすく変えられてしまいます。ワンクリックで。

WEBでそれが可能になってしまうということは、どの瞬間に、どのタイミングでアクセス数が変わってしまったかが記録として残るということです。レーティングなんて必要ありません。1分ごとに出る視聴率調査よりも詳細に、明確なデータを手に入れることができるのです。今まで確固たるマーケティングデータが手に入らなかった放送メディアが。

もちろん、あくまでもWEBというプラットフォーム上でのデータですから、ラジオ放送と直接的な相関関係のあるデータでないことは前提としてあります。ですが、今まで明確になっていなかった個人の聴取体系の詳細データが手に入ってしまうのです。おそらく、このデータはラジオの広告費用に少なからず影響を与えてしまうのではないでしょうか。

ただのリスナーという外野の存在ながら、「大丈夫かな…」なんて余計なお世話の心配をしてしまうのはこの点です。はっきり言って、これは業界再編以上のインパクトじゃないかと。

聴取率調査と並列して比べることのできるデータでないことはわかっています。にもかかわらず、リスナーの全体数から、そこからどのようなサイト移動履歴があったのか、ましてや自社サイトへどれだけの人が飛んできて、どれだけスポンサーリンクへ流れたのか。調べようと思えば全部わかっちゃうんですよ。広告費用を考える上でも、最終的に番組制作を行う上でも、この数字に気をとられすぎになってしまわないだろうか。

例えば、現状地域を識別するのにIPアドレスを使用していますが、当然関西のIPアドレスを持っている人は関東圏にも住んでいるわけで、識別なんてあってないようなものです。サイマル放送が今後も続く場合、地域識別をどこまで維持できるのでしょうか。全国展開できた方が事業展開も幅が広がりますし、リスナー側からも声が上がってしまうでしょう。その時に、どこまで「地域メディア」としてのラジオ放送を維持できるのか。それが大きな不安であり、懸念であるのです。

なんだか、事業規模も制作面でも、どこまで「ラジオ放送」を維持できるんだろうかってことがとても気になるんですよね。別に、既存形態に固執してるわけじゃないんですけど、常に携帯ラジオを持ち歩いてる人間のことも考えてほしいなぁと。だって、地域メディアには常に「私たちのメディア」であってほしいじゃないですか。

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ハート・ロッカー

2月が終わりました。3月も半ばになって、2010年も残すところあと10ヶ月弱ですね。早いものです。

今年は昨年より劇場へ足を運ぶ回数を増やしたいと思っています。2月末までで劇場は9本。DVDは6本(TV番組を除く)。映画漬けの生活を送っているけんちゃんにはかないませんが、まずまずの立ち上がりといったところではないでしょうか。

ただ、既に劇場に行きたくとも行けていないまま公開終了となってしまった映画が5本くらいあるので、春映画からはそのようなことのないようにしたいです。

ということで、話題作をまっ先に。

ハート・ロッカー
監督:キャスリン・ビグロー

2004年、イラク・バグダッド。駐留米軍のブラボー中隊・爆弾処理班の作業中に爆発が起き、班長のトンプソン軍曹が爆死してしまう。トンプソン軍曹の代わりに派遣されてきたのは、ウィリアム・ジェームズ二等軍曹。彼はこれまでに873個もの爆弾を処理してきたエキスパートだが、その自信ゆえか型破りで無謀な行動が多かった。部下のサンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵は彼に反発するが、ある事件をきっかけに打ち解けていく。
goo映画「ハート・ロッカー」作品解説・紹介(2010.3.11)

本年度のアカデミー賞で『アバター』をおさえ、作品賞をはじめとする6冠に輝いた本作品。女性監督(ご本人はこの呼ばれ方が嫌いらしい。当然といえば当然である)としての初の快挙が期待されていたり、ジェームズ・キャメロン監督と夫婦だったことが話題となっていて公開前から注目が集まっていました。僕もめざましテレビで何度か特集されていたのを見たことがありました。戦争映画でこの特集のされ方ってことはてっきり『ブラックホーク・ダウン』みたいなもんかと安易に想像して見に行きましたが、見事、期待は裏切られましたね。見る前の方もいるところであまりこんなこと言いたくないんですが、この映画、超疲れますよ。まぁ、疲れるところがこの映画の魅力たる所以ではあるんですが。

脚本と、それを元にしたコマ割りや絵の見せ方がとても工夫されています。まず、映画の冒頭のシーンで爆弾処理の工程や破壊力、現場の緊迫感だけでなく、爆弾処理のプロフェッショナルが見せる切迫した表情と緊張の糸を少し緩めた顔、実際に爆発したときの影響まで、「爆弾処理」という作業上のアウトラインを全部ちゃんと描いちゃうんですよね。それによって、物語が進行する中で度々登場する爆弾処理シーンを受け手にスムーズに理解させています。隊員の配置や解体手段、周りのイラク人の様子、犯人の行動や表情、爆弾処理班を呼んだ他の隊員の顔、ジェームズがいかに他の隊員と違う感覚を持っているかまで。この下地があるからこそ、後々に出てくるジェームズの異常性(他の隊員との感覚の違い)が引き立っています。

この映画で、主人公ジェームズは爆弾の処理をまるで楽しんでいるかのように描かれます。爆発するかもしれない爆弾の解体というスリルが、まるで麻薬のような異常性と常習性を帯びているかのように。その部分だけを切り取って常軌を逸した人間の末路としてレッテル張りをしてしまうことは非常に簡単です。ただ、戦争という大局の中で、爆弾処理班の一個人の物語としてこの映画を見てしまうのも、なんだかもったいない気がしてしまいます。

この映画の象徴的な場面として、ジェームズがイラクの赴任期間を終えて家に帰り、寝室で幼い息子と話すシーンがあります。息子は1歳くらいで、彼が話す言葉をまだ理解はできません。なのに、ジェームズは語り続けます。人はたくさん大切なものがあるはずなのに、年を重ねていくごとにその数がどんどん減っていってしまう、と。今の自分にとって、もう1つしか大切なものがないのだ、と。

僕はジェームズを見ていて、どうも爆弾処理のスリルにとりつかれた人とは思えなかったんですね。彼が人体に仕掛けられた爆弾を解体するシーンが象徴的で、彼は怒りを抑えているのでしょうが淡々と解体していくんですよ。どうも、彼は戦争にのめり込んでいるというのではなく、爆弾処理という職業にとりつかれているように見えてしまったのです。簡単に言えば、ワーカホリック。プライベートを振り返らず、仕事に没頭する姿。仕事とプライベートの狭間に葛藤があるからこそ、少年がいなくなってしまったことに対して過敏に反応してしまったのではないでしょうか。怒りではなく、自分のなかにある贖罪意識のような。

ジェームズは最終的にまた戦場へ戻ってしまいます。その姿が、僕にはとても悲しく見えてしまいました。爆弾処理にしか、彼は居場所を見出すことができなかったのでしょうか。家での生活の顔と、仕事へ向かう顔の対比がとても印象的でした。

デートムービーとしてはちょっとそぐわないかもしれませんが、劇場で見てみて損はない映画です。

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シーズン開幕

今年のF1グランプリが開幕しました。ちゃんと見始めたのが大学の頃なのでまだまだわからないことも多いですが、ここ数年は毎年開幕が楽しみなスポーツです。

今年はレギュレーションにちょこちょこ変更があったり、ドライバーの入れ代わりや新規チームの参入でかなり印象が変わってしまいました。個人的には、アロンソの活躍に期待しています。チーム移籍で真価を問われることになりますし、フェラーリ自体もチームとして今年ほどトップ成績が求められている年はないでしょうから。

どのスポーツもそうなのでしょうが、F1に限らずモータースポーツ全体は特に、プレーヤーの実力のみで勝者が決まるものではありません。ピットクルーやエンジニア、たくさんの技術スタッフ、戦略スタッフがマシン自体の良し悪し、コースに合わせた調整をしています。つまり、どんな名ドライバーでもマシンの性能が少しでも劣ってしまえば、同じマシンでも数ミリのセッティングが違えば、タイムを上げることすら至難の業になります。当然、開発費用を工面する財務スタッフも同様です。メジャースポーツでこれほどバックスタッフの力が結果として如実に表れるものはないんじゃないかと思うのです。

今年はフジテレビにもっと早い時間で放送してほしいなぁ。月曜日、眠いんですよね。

そんなことを言いながら、深夜に大胆な大掃除を始めている春先の夜です。来週のお休みにやってもよかったのですが、人に指摘されてからでしか動けないのは情けないところなので、戒めとしても今日やらねばなりません。先頃読んだ本に「明日は今日と違う自分になることが大事」と書いてあったので、目下実践中。ちょっとスッキリしてきました。もうちょっとがんばります。

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今さらかよ。

今更の話ではありますが、指定のエントリを常に冒頭表示にする方法を見つけたので、諸注意を書いてみました。このブログも徐々にオープンになっているので、今更ながらの前置きです。

今更ながら、と言えば。

先ほど、叔母からメールがありました。

「本の場合は自分とこの会社のでも安くならんの?」

安くならなくもないですが、叔母には生まれた頃からとてつもなくお世話になりっぱなしですし、一冊くらいなら都合をつけようと、在庫確認のためとりあえずタイトルを尋ねました。

「こないだカナダのガイドブック出てたやん」

ん……?
あー、それ、たしかに名前に似てはいるけど、全然関係のない別の会社なのよね。

この春で丸4年なんですが、入社のときと同じ間違い。たしかに、出版社の名前も覚えてもらえるような大規模スマッシュヒットは長らく出てませんけどね……。今さらですかい(笑)

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はじめまして ~このブログについてのご注意

注意事項です。念のために、書いておきますね。

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『奈良のお宿の春日さん』マンガ展

あいにくの雨模様だったのですが、行ってきました。

『奈良のお宿の春日さん』マンガ展
奈良まほろば館

4月末に刊行予定のさえきまなさんのマンガ『奈良のお宿の春日さん』のマンガ展です。3話と4話が展示されています。

このマンガの主人公は小鹿の春日さん。ひょんなことから奈良にあるゲストハウスで働くことになったことから物語が展開していきます。人や動物だけでなく、キャラの濃い仏様まで集うゲストハウスで織り成される物語が、実際の奈良の情景を交えながら描かれます。

春日さん、愛らしいキャラクターです。

ちょっと見方を変えると一昔前の宇宙人のようにも思えてしまいますが(←こら!)、要所要所で豊かな表情を見せてくれるのがとてもかわいいではありませんか。奈良豆比古神社近くに迷い込んで独りになってしまったときに、怪我してるにもかかわらずヨダレたらしながらうたた寝してる顔には思わず吹き出しました。

あ、狛犬の顔マネも好きですよ。

5日には奈良が舞台のコミックということで、せんとくんも遊びにいらっしゃってて盛り上がりをみせたそうです。入り口でもらえる特製マップには、展示されているコミック内で春日さんが立ち寄ったルートが記載されています。実際の奈良の場所とリンクするから面白いですよね。久しぶりに見た近鉄奈良駅がこぎれいになっていてとてもビックリ。アンケート用の椅子に座って奈良旅行の相談してた人もいたとか。

奈良まほろば館は、日本橋三越のすぐそばにある奈良の観光施設です。

Photo_3

入り口ではせんとくんが出迎えてくれます。動くせんとくんは可愛らしいそうなのですが、こうやって入り口に置かれていると、ちょっと恐かったりもしますね(笑)

ちなみに。

Photo_4

アンケート箱の横には手作りの春日さんぬいぐるみが置いてありました。顔は春日さんでも体はカンガルー疑惑が出ていましたが、ステキです。

12日までやっているそうなので、ふらりとぜひ。ちなみに、1階は奈良の物産展をやっていました。奈良の物産って、久々に見たよ。

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ついに来てしまいました。

来てしまいました。

とうとう来てしまいました。

「賃貸借契約更新のお知らせ」がやってきました。

我が家は2度目の更新。更新料って、なんだかとても理不尽な制度のように思ってしまいますが、踏み倒すほどの勇気もないのでお支払いに行かなくてはなりません。

はぁ。

ま、仕方ないんですけどね。

春になろうというのに、どうも上手くいかないことが多くてちょっと気分を変えたい感じです。散髪に行こう。髪形変えようかなぁ。

ではでは。

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『使ってもらえる広告』

会社が完全に年度末モードにファイナル仮面ライドしてしまっているので、肌に合いません。なので、今日も早々退社。僕の仕事はおそらく今お呼びではないので。そこはわきまえてちゃんと来月からに向けたことを考えないとと思っていますが、変身してしまっているお偉方にそんな話はできようもなく。早く帰れるなら、早く帰っておこうということです。


『使ってもらえる広告』
須田和博

見てもらえない? じゃあ、
使ってもらえる広告にしたら?

広告が効かなくなった、見てもらえなくなった、と言われ続けて随分経ちます。生活者(消費者)にとって一見無関係と思われる情報はスルーされてしまうこの時代に、いかに生活者の間に入り込めばいいのでしょうか――。
本書では、サービスとしての広告を開発し、身近なところから実感を持って生活者=ユーザーと「キズナ」をつくり上げる「使ってもらえる広告」を提案しま す。グラフィック、テレビCM、ウェブ……すべてを経験してきた人気クリエイティブディレクターが語る「広告の最前線」。
Amazon.co.jp 『使ってもらえる広告』内容紹介 (2010.3.1)

いつものようにつらつらと思うところを。

短かったので内容紹介を抜粋しました。著者は博報堂の方でアートディレクター、CMプランナーを経てクロスメディアのクリエイターをされているとのこと。文字通り、広告業界ど真ん中の方です。ここ、大事。

マス広告の効果が疑問視され始めて、もっと効果の見える場所へ費用を投下する流れができ始めていると現状を述べています。多メディア化によってチャンネルが増え、WEBの台頭によっていわゆるソーシャルメディアができ、グランズウェルそのままのようになってしまった、と。その上で、WEBがコミュニケーションのすべての領域を束ねる役割を果たすようになると指摘します。

本文中の“ユルくつながれる”というWEBの関係構築については、津田大介氏がTwitterを“ゆるふわ(ゆるくてふわふわした)”な感じだと述べていたのと同じことでしょう。ただ、津田氏の場合はパーソナル・コミュニケーションの関係構築に関してであって、メディアと広告主と受け手の関係性ではないのです。個々人の“ゆるふわ”な関係構築と、広告と受け手の関係構築を同様に考えてしまってはおそらくちょっと違った感覚になってしまうんじゃないかと思うのですよ。なんだかここが、議論のすり替えのように思えてしまったのです。

当たり前の話ですが、広告費ってとてつもない金額ですよ。半5段の新聞広告だって全国紙になると100万単位の金額になります。そんな金額のお金を広告のために投入するってことは、短期的にしろ中長期的にしろ投入した金額をどこかで回収できなければならないはずです。どうも、この本にはその視点が薄いような気がしてならないんですね。

そもそも、マス広告の衰退は多チャンネル化して人びとの行動パターンが多様化しすぎたからだけなのでしょうか。マスコミ業界の端くれにいながらこんなこと言うのもなんですが、「マス広告に確固たる効果測定指標が存在しないから」ってのは、理由の筆頭にはならないのでしょうかね。それがとてもフシギフシギ。

つまり、詳しい数字は書かなくてもいいんですが、例えば事例で扱われている「ファイブミニ」のキャンペーンが収益ベースでどうだったのかを聴きたいのです。別に、「このキャンペーンをやったから、売上が1.5倍になりました!」とか、そんなうさんくさい話を求めてはいません。「ユーザーとユルくつながれる」のであれば、最終的にいつどこでどういう形でつながって、それが商品と広告主とユーザーの関係を前後でどう変えたのか、そしてその方法をどのように測定したのかが知りたいのです。

「ファイブミニのサイト、面白い!」とか「怪人、おもろいやん」というところから派生した関係性が、関与が、じゃあ何をどう変えるんだということ。つまり、キャンペーンを展開したことによって、大塚製薬と消費者の関係がどう変わったのかってことをどうやって効果として解説できるんだろうってことです。やって、見てもらって、使ってもらって、リアクションあって。「え、そんだけですか?」で終わるようなら、彼らの言う新たな時代の広告は以前のそれと何ら代わりがないように思います。だって、結局曖昧な効果測定しかできないとわかってしまったら、誰もお金を出そうとはしないもの。

「ユルくつながれる」関係性だからこそ、その関係性のバランスはとても脆弱なものだと言えます。天気と一緒のようなもの、その時々でまったく違った形になります。成功するも滑るも紙一重。だからこそ、そこにストーリーをぶっこもうぜって話なのかもしれませんね。

既にブランドが確立されている企業で考えるなら面白く読める本だと思います。ただ、そうであるならば『コミュニケーションをデザインするための本』ぐらいまでガッツリ書いてほしかったのが正直なところ。新書だからそこまでは難しいってのもわかりますが。

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