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昨日のエントリを書きながら頭に浮かんできたこと。

なぜだか無性に斉藤和義が聴きたくなって、週末からヘビーローテーションになっています。『僕の見たビートルズはTVの中』などを聴くと、やっぱり忌野清志郎の影響が色濃く出ているよなぁと思ってしまいました。調子に乗って『月影』のギターコードを弾いてみたら、昨日から左手の親指の付け根が痛いです。バレーコードでフレットを押さえるときに親指の力の入れ具合がよくないみたい。むむむ。

昨日、博報堂発行の『広告』の対談記事についてこんなことを書きました。その中で、「成り上がろうと思ってニコ動に動画アップしてる人はいない」って書いたんですが、そこで思い出したことがあったので書き留めておきます。一緒のエントリに書いちゃうとごちゃごちゃしちゃうんで、追記という形で。

というのも、生産と消費のボーダレス化とはまったく別の話。

「成り上がろうと思ってなくて生産活動をする」日本人の特徴と、ウェブ上のプラットフォームに「成り上がりたい」と思って生産したものを載っけてくアメリカ人の話は、学生時代にある人から聴いた「東京」と「地方」の話に似ているなぁ、と。

大阪のラジオ局であるFM802のアートプロジェクト「digmeout」のプロデューサーを務めてらっしゃる谷口さんにお話を聴いたときのこと。

「ラジオ局でアートプロジェクトって、見えないから意味ないじゃん??」なんて思ってしまうかもしれません。ただ、谷口さんの「見えないからこそあえて見えるものにこだわりたい」という言葉に、事前のセッションで「文化のポータルになりたい」と語った同局幹部の方の言葉を思い出してしまいます。

このプロジェクトについてはサイトを見ていただければいい話。なぜこのプロジェクトについて思い出してしまったのかというと、谷口さん曰く「digmeoutは地方でしかできないこと」とおっしゃっていたからです。東京でアートをしている人は、「イッパツ当てたる!」とビジネス志向先行型の人が多いそうです。一方、大阪でアートをやっている人(若い人)は上昇志向バリバリの人が少なく、アート活動自体がアイデンティティのひとつになっている人が多いとのこと。そういう人たちの「私を見つけて」という叫びを聴いて、その力を世に送り出すお手伝いをするのが「digmeout」だそうです。

成りあがりたいと思いながら行う生産活動と、そうでないもの。

そこには大きな違いがあるはずです。成り上がり志向が目的化している生産活動と、生産活動や生産物自体が自らのアイデンティティとなっているものでは、生産における本質的な基軸が異なるはずです。善し悪しの話ではありません。両者には明らかに違いがあるということです。

この違いは宇野さんの言う「集団の無意識のもつクリエイティビティ」とは別の話。というのも、消費側でなくて両者が生産側にいるから。その人の生産活動の根源がどこにあるのかというだけのことで、消費する側が両者を受容してリアクションを行っていくことでボーダレス化が生まれているのです。ただし、「私を見つけて」と叫ぶ若者は、その能力を見つけられないまでは「消費する側」であって、「digmeout」プロジェクトは彼ら彼女らを「生産する側」へとつなげていくメディアとなっているのでしょうね。

ほんとに、大阪の「文化のポータル」としての立ち位置を崩さず、地域から世界中へ情報発信してます。メディアの本質を行く姿には、ビジネス書という狭い始点になりつつある僕にとっては見習うべきことが多くあります。

あ、ちなみに専属アーティストでは木野下円さんがすきです。

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