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紫陽花。

ちょっと気を抜くと随分期間が空いてしまいましたね。ただ、このくらいの更新頻度がもしかしたらちょうどいいのかもしれません。と、自分のなまくらな部分をごまかしてみたり。ワールド杯を見たりしつつ、先週末久しぶりにゲームを買ったりしてしまって、Twitterでお茶を濁しているなぁ。そんなことやってたら見事に体調崩してるし。

なんて、毎度のことを考えている間に、外では紫陽花が花開き始めました。どうでもいいことですが、実は紫陽花の花がとても好きです。手鞠サイズくらいの花が梅雨入り頃にいつの間にか咲いていて、夏前には知らない間に消えていく。結構長い間私たちの目を楽しませてくれるにもかかわらず、桜のように枯れて散っていく姿を惜しまれることもない。やっぱり日本人は一瞬のきらめきのようなものに美しさを感じるからでしょうか。それとも、単に咲く時期が梅雨で陰鬱な気分になってしまうので、早く過ぎ去って夏になってほしいと思っているからでしょうか。もしそうであれば、なんだかとても不運な花のように思えてなりません。

この季節になると決まって語られることですが、紫陽花は2つの対極的な花言葉を持っています。ひとつは、花の色から由来する「移り気」や「浮気」の類。紫陽花は土のPH濃度を変えることによって、次年に咲く花の色をコントロールすることができます。たしか、白いものはもともと種類が違ったはずですが、ピンクと青の種類は人為的にどちらかへ変えることができるのです。そういった性質からこのような言葉が当てはめられたようです。

もうひとつは、「辛抱強さ」といった類の言葉。こちらは紫陽花が1ヶ月ほど花を咲かし続けるところから由来する言葉です。公園の横っちょや家の鉢植えなんかでもちゃんと6月の間は目を楽しませてくれますからね。たしか、どちらかの花言葉がフランスの花言葉だったと記憶しているのですが、そこは覚えが曖昧。昔、番組で喋るときに使ったきりの知識なので。

なんだかんだで気分が滅入りっぱなしの6月ではありますが、ほんのちょっとだけ残っている空元気を使ってなんとか乗り切りたいところです。

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困ったなぁ。

Twitterがキャパオーバーです。最近めっきり長文を書く機会が減ってしまったので、ちょこちょこ書き連ねている駄文を読んだだけでもより文章がへたっぴーになってしまったと痛感しています。このところインプット自体がかなり減っているので、ちゃんとアウトプットできるほどの生活ができていないのも事実。

良くないですね。

社会人も5年目に入ると、当然の如くより高いものがどんどんと求められる立場にもなってきます。にもかかわらず、今時点で現状維持の施策と暗中模索状態の懸案事項ばかり。ブレイクスルーがなく、焦りとフラストレーションばかりが溜まる毎日です。結果がすぐに出ないことは重々承知なんですが、やっぱりハラハラしちゃうんですよね。そもそも、今やってることが結果につながるのかすら未知数やし。むむむー。

いろいろな本を読んだりさまざまな人と話をして、新しい視点をちゃんと身に付けないとなぁ。精進しないと。

ちなみに、最近自炊率が上がってます。平日もちょくちょく自炊してます。ただ、残念ながら久々にジャンクフード率も上昇中。自炊の意味がない。。。いらいらすると食生活が乱れますなぁ。いかんいかん。

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『告白』

今年は映画を劇場で50本は見ようと思っている。Twitterにメモしていてブログには書いてないですが、今のとこを順調。月の立ち上がりは必ず注目の映画を見るようにしている。先月は『アリス・イン・ワンダーランド』、先々月は『ソラニン』、その前は『おとうと』ってな具合で。

そんでもって、今月はこれでした。

告白
監督:中島哲也
配給:東宝

話題作とは聴いていたけど、ほんとすごい映画ですよ。あと数回は映画館で見たいくらい。まさに鈍器で頭を何度も殴打されるような衝撃が続く時間でした。

原作は、ご存知の通り湊かなえのベストセラー『告白』。原作の読後感の悪さが只者ではなかったので(もちろん、面白くないという意味ではない)、あの中島監督がこの物語をどう見せるのかとても期待していました。

やられましたね。がっつり期待以上。

今作は人の描き方が本当にリアル。教室内の生徒ひとりひとりを丁寧に描いていて、そのせいか登場人物のほとんどが思春期の屈折した素直をさまざまな形で持っているように感じる。加えて、冒頭で松たか子演じる森口悠子が「ひとりの人として対等に接する」と宣言してしまった。主要の人物設定が対極的な対立構造にならなかったことが、まず大きな特徴だ。

教室のリアルな空気と、そこに泥のように渦巻く感情を持ちながら同じ目線で入ってきた大人。そこにはちょっと違う「素直さの表出」を見ることができる。

冒頭の森口の宣言シーンを見てもわかる通り、迫られる側の子どもたちの精神は脆い。当然といえば当然。森口の素直さが「教室」というひとつの集団を突き動かしていく姿に、えもいわれぬ恐ろしさを感じてしまう。カーニバル化と言ってもいいのだろうか。教室の大多数はほぼ同時に一方向の祭り状態へと流れてしまう。思春期独特の本音を言い合えないレイヤー構造の中、彼ら彼女らの築いた群生秩序では森口のインパクトに耐えることができなかったからだろう。よって、この秩序に元々入り込めていなかった2人が浮いてしまう結果となった。

一方で、森口は生徒のように相手との距離を慎重すぎるまで測る必要がない。彼女には復讐という明確なゴール設定がある。そこへ向かう素直さを持ったまま対等な立場で行動することによって、秩序が脆く揺れる存在である生徒と突き進む森口という対立構造が、物語のリアルな展開の中で徐々に表現されるのだ。恐すぎる。

この映画には日本人独特の気質や社会問題が数多く内包されている。にもかかわらずそれが前面に出たり、ここぞとばかりにそのことを糾弾することはない。ただ、見せるだけなのだ。おそらく、中島監督はそんなものをこの映画で描こうとしていないのだろう。リアルに描いてしまったので自ずと出てきてしまっただけ、のように感じる。

映画はラストカットという目的に向かうために、ひとつひとつ原作を崩さぬよう注意して歩を進めている。そこに監督の味がちゃんとフィットしている。色使いや、コマ割りが絶妙。加えて、松たか子の群を抜いた演技力とそれを活かす演出。

原作と同様、鑑賞後の後味の悪さは盛りだくさん。ただ、見ておいて絶対に損はない1作。ハリウッドからオファーが来てるらしいけど、これは日本人独特の空気が描かれているので海外でどこまで評価されるかは難しそう。単なるホラー映画にならないことを願うなぁ。

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たくさん出てきていますね。

ブログがひと段落したらSNSで、その次はTwitterですか。その次は何なんでしょ。

ツールはたくさん出てきていますが、「コミュニケーション」という共通概念はどれにも付いてまわっています。まぁ、公開する側と見る側がいる時点で、それを「コミュニケーション」と呼んでしまえば図らずもそうなってしまうんだけど。

ツールはたくさんあるけど、あくまでも目的のためにツールを使うことを忘れちゃいけない。何がしたくて、そのために何をするのが最もいいことなのかって単純思考をしなくちゃいけないんだろうなぁ。でも結局頭でっかちになっても無意味なワケで、とりあえずはじめてみるというフットワークも必要。

目的の前にツールが先立ってしまえば必ず後々立ち行かなくなる。大事なことは、そのツールが本当に目的までつながっているのかどうか。また、そこまでミスリードせずに導くにはどうすればいいのかが垣間見えているかどうか。ルートとそこを走る資源の問題。

難しいなぁ。

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