『告白』

今年は映画を劇場で50本は見ようと思っている。Twitterにメモしていてブログには書いてないですが、今のとこを順調。月の立ち上がりは必ず注目の映画を見るようにしている。先月は『アリス・イン・ワンダーランド』、先々月は『ソラニン』、その前は『おとうと』ってな具合で。

そんでもって、今月はこれでした。

告白
監督:中島哲也
配給:東宝

話題作とは聴いていたけど、ほんとすごい映画ですよ。あと数回は映画館で見たいくらい。まさに鈍器で頭を何度も殴打されるような衝撃が続く時間でした。

原作は、ご存知の通り湊かなえのベストセラー『告白』。原作の読後感の悪さが只者ではなかったので(もちろん、面白くないという意味ではない)、あの中島監督がこの物語をどう見せるのかとても期待していました。

やられましたね。がっつり期待以上。

今作は人の描き方が本当にリアル。教室内の生徒ひとりひとりを丁寧に描いていて、そのせいか登場人物のほとんどが思春期の屈折した素直をさまざまな形で持っているように感じる。加えて、冒頭で松たか子演じる森口悠子が「ひとりの人として対等に接する」と宣言してしまった。主要の人物設定が対極的な対立構造にならなかったことが、まず大きな特徴だ。

教室のリアルな空気と、そこに泥のように渦巻く感情を持ちながら同じ目線で入ってきた大人。そこにはちょっと違う「素直さの表出」を見ることができる。

冒頭の森口の宣言シーンを見てもわかる通り、迫られる側の子どもたちの精神は脆い。当然といえば当然。森口の素直さが「教室」というひとつの集団を突き動かしていく姿に、えもいわれぬ恐ろしさを感じてしまう。カーニバル化と言ってもいいのだろうか。教室の大多数はほぼ同時に一方向の祭り状態へと流れてしまう。思春期独特の本音を言い合えないレイヤー構造の中、彼ら彼女らの築いた群生秩序では森口のインパクトに耐えることができなかったからだろう。よって、この秩序に元々入り込めていなかった2人が浮いてしまう結果となった。

一方で、森口は生徒のように相手との距離を慎重すぎるまで測る必要がない。彼女には復讐という明確なゴール設定がある。そこへ向かう素直さを持ったまま対等な立場で行動することによって、秩序が脆く揺れる存在である生徒と突き進む森口という対立構造が、物語のリアルな展開の中で徐々に表現されるのだ。恐すぎる。

この映画には日本人独特の気質や社会問題が数多く内包されている。にもかかわらずそれが前面に出たり、ここぞとばかりにそのことを糾弾することはない。ただ、見せるだけなのだ。おそらく、中島監督はそんなものをこの映画で描こうとしていないのだろう。リアルに描いてしまったので自ずと出てきてしまっただけ、のように感じる。

映画はラストカットという目的に向かうために、ひとつひとつ原作を崩さぬよう注意して歩を進めている。そこに監督の味がちゃんとフィットしている。色使いや、コマ割りが絶妙。加えて、松たか子の群を抜いた演技力とそれを活かす演出。

原作と同様、鑑賞後の後味の悪さは盛りだくさん。ただ、見ておいて絶対に損はない1作。ハリウッドからオファーが来てるらしいけど、これは日本人独特の空気が描かれているので海外でどこまで評価されるかは難しそう。単なるホラー映画にならないことを願うなぁ。

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『アリス・イン・ワンダーランド』

ちょっと久しぶりすぎる更新。

日中に文章書いたり企画書書いたりしていると、ゆっくり座って日々考えていることを書き連ねる気になかなかなれなかった。というのは、ほぼ言い訳。ちょっと苛立つことが多かったので、書くとおそらくグチばかりになったろうから、自粛してました。まぁ、これも言い訳。

アリス・イン・ワンダーランド
監督:ティム・バートン
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン

ようやく見てきた。大量の宣伝が目についてなかなか乗り気になれてなかった1作。でも、やっぱり見ておかないわけにはいかない。僕がティム・バートンを知った『シザーハンズ』が公開されてから20年が経つ(もちろんリアルタイムで見てはいないが)。その前後のバットマンだったりもそうだけど、「奇抜な設定から深く切り込んでくる人」というのがざっくりながら僕が持っている彼のイメージである。それからすると、『チャーリーとチョコレート工場』を見たときと同じ、ちょっとした物足りなさを感じた。

『チャーリーと~』も今回も主人公が大人の階段を上っていく姿が描かる。その鍵となる登場人物(ウィリー・ウィンカやマッド・ハンター)も主人公との出会いを通じてひとつ新しいステップへと視野を広げていく。いわば、両者の成長物語なのだ。それはそれで非常に面白い話である。周りの大人の知らないところで成長していく少女の話という点では、『千と千尋の神隠し』と同じような感覚を覚えた。

では、何が物足りなかったのか。それは多分、悲哀、のような感情だろう。理屈だけではひっくり返せないよな、カナシミや切なさややるせなさや怒りだけではどうしようもないもの。ティム・バートンが描くそれらの感情は、彼の設定する奇抜な世界観との調和やときには背反する化学反応によって増幅され、鑑賞後の心の中にボコッとしこりのようなインパクトを与える。今回は彼が世界的にも有名な『アリス』の世界を描くというので、どういうインパクトを与えてくれるんだろうといった期待が先立ってしまった感がある。

今回、彼はおそらくあえてそのような類のインパクトを仕掛けてこなかったのだろう。そのため、主役の2人以外のキャラクターが立たないよう配慮をしたのではないかと思う。それはラストシーンを見れば理解できる。また、描かれる世界の映像もとても美しいものであった。ただ、やっぱり彼らしい化学反応がなかったことについては物足りなさを感じずにはいられない。

でも、今になって考えるとそこってこの作品の宣伝・PRで調整しなきゃいけない問題ではないのだろうかという気がしてきたが。

どうでもいいことだが、3D映画館の人にはメガネをかけてる人用の3Dメガネを開発してほしいと痛感した。川崎のIMAXで見たんだけど、途中でメガネがずり落ちて来るんだもん。これ、結構共感できる人多いはず。

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『マイレージ、マイライフ』

会社のテーブル内での席替えを、なんだかとても希望したい、そんな気分の春です。

テンションが低いので昨日も今日も早々退社。最近PR関連の仕事は家でやるのが板に付いてきました。家のPCのスペックが追い付かないのでそろそろ買い替えを検討したいのですが、それには懐が追い付かず。しばらくはがんばってもらわないと。

さて、気分を切り替えて。

マイレージ、マイライフ
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:ジョージ・クルーニー、ジェイソン・ベイトマン、ヴェラ・ファーミガ

年間322日も出張し、リストラ宣告を行っているライアン。「バックパックに入らない物は背負わない」がモットーだ。面倒な人間関係を嫌い、出張先で出会った女性とその場限りの情事を楽しむ毎日だ。貯まったマイレージは1000万目前。しかし、その目標を阻む者が現れた。新人ナタリーが、ネット上で解雇通告を行うという合理化案を提出したのだ!
goo映画『マイレージ、マイライフ』 作品解説・紹介 (2010.3.24)

今年見た中では頭ひとつ抜けていい映画でした。この対比はとても面白い描き方です。

主人公ライアンはリストラ宣告の代理店に勤めています。見るからに敏腕であり、アメリカ中を飛び回る生活。家に帰るのは年間数十日で、まさに飛行機とホテルが我が家と言ってもおかしくない存在です。彼自身も飛行機のマイル貯蓄を楽しみに生活をしています。家族を気にすることなく、独りで気ままな生活。もちろん、結婚なんて眼中にはありません。そんな彼の前に、ある日ひとりの新入社員、ナタリーが現れます。

彼女は大学を首席で卒業したエリート。面と向かってのリストラ宣告を廃し、チャットを介してフローチャートでマニュアル化された新しい事業スタイルを提案。出張&人件費のコストカットを主張します。最初は小馬鹿にしたものの、上司は本気。なんと彼は彼女の実地研修を引き受けることとなりました。しばらくアメリカを行ったり来たりしている間に、彼は彼女と自分があまりに正反対であることに気付きます。

彼女は仕事も恋も結婚も子育てもバリバリやってきたい上昇志向の塊のような人。ただ、恋人に振られて泣きだしてしまうなんて、幼い印象付けもされています。このキャラクター設定が巧みなんですね。冒頭ではさも「勘違い人間」で「現実を知らない学生」といったストレートな位置づけなのですが、物語が展開するにつれ徐々にライアンの生き方を侵食していきます。もしかしたら、自分は違う道を生きてもいいのではないかと、ライアンの顔つきがどんどん変わっていくんですね。

その考えに拍車をかける存在として登場するのがアレックスです。割り切ったものとしてスタートしたはずの関係にライアンはどんどんのめり込んでいきます。その度に、人間関係のしがらみをできるだけ排除して気ままに生きてきた自分の人生を自問します。今まで貫いてきた生活スタイルに対して、次々と疑問や葛藤が生じてくるのです。

些細なことから今までの自分の人生に対して次々と生じていく迷いや疑問。それらを重々しく描くのではなく、淡々と描いているところにこの映画の魅力があります。飛行機に乗るように、空を飛び全米を旅するように。ライアンは2人の登場とともに徐々に変化し、最後には自分の今までの行き方と正反対の方向へ行ってしまいます。そしてそこを経験した後に、最終的に今の自分の立ち位置まで戻ってくるプロセスが、とてもにくい演出なんですよね。「He is lost」とか、切なすぎる。

今の仕事に対して何らかのネガティブな感情を抱いたことがある人、ものすごくポジティブな人、両方の人が見ても必ず得るもののある映画だと思います。ぜひ、劇場で見ていただきたい1作です。

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ハート・ロッカー

2月が終わりました。3月も半ばになって、2010年も残すところあと10ヶ月弱ですね。早いものです。

今年は昨年より劇場へ足を運ぶ回数を増やしたいと思っています。2月末までで劇場は9本。DVDは6本(TV番組を除く)。映画漬けの生活を送っているけんちゃんにはかないませんが、まずまずの立ち上がりといったところではないでしょうか。

ただ、既に劇場に行きたくとも行けていないまま公開終了となってしまった映画が5本くらいあるので、春映画からはそのようなことのないようにしたいです。

ということで、話題作をまっ先に。

ハート・ロッカー
監督:キャスリン・ビグロー

2004年、イラク・バグダッド。駐留米軍のブラボー中隊・爆弾処理班の作業中に爆発が起き、班長のトンプソン軍曹が爆死してしまう。トンプソン軍曹の代わりに派遣されてきたのは、ウィリアム・ジェームズ二等軍曹。彼はこれまでに873個もの爆弾を処理してきたエキスパートだが、その自信ゆえか型破りで無謀な行動が多かった。部下のサンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵は彼に反発するが、ある事件をきっかけに打ち解けていく。
goo映画「ハート・ロッカー」作品解説・紹介(2010.3.11)

本年度のアカデミー賞で『アバター』をおさえ、作品賞をはじめとする6冠に輝いた本作品。女性監督(ご本人はこの呼ばれ方が嫌いらしい。当然といえば当然である)としての初の快挙が期待されていたり、ジェームズ・キャメロン監督と夫婦だったことが話題となっていて公開前から注目が集まっていました。僕もめざましテレビで何度か特集されていたのを見たことがありました。戦争映画でこの特集のされ方ってことはてっきり『ブラックホーク・ダウン』みたいなもんかと安易に想像して見に行きましたが、見事、期待は裏切られましたね。見る前の方もいるところであまりこんなこと言いたくないんですが、この映画、超疲れますよ。まぁ、疲れるところがこの映画の魅力たる所以ではあるんですが。

脚本と、それを元にしたコマ割りや絵の見せ方がとても工夫されています。まず、映画の冒頭のシーンで爆弾処理の工程や破壊力、現場の緊迫感だけでなく、爆弾処理のプロフェッショナルが見せる切迫した表情と緊張の糸を少し緩めた顔、実際に爆発したときの影響まで、「爆弾処理」という作業上のアウトラインを全部ちゃんと描いちゃうんですよね。それによって、物語が進行する中で度々登場する爆弾処理シーンを受け手にスムーズに理解させています。隊員の配置や解体手段、周りのイラク人の様子、犯人の行動や表情、爆弾処理班を呼んだ他の隊員の顔、ジェームズがいかに他の隊員と違う感覚を持っているかまで。この下地があるからこそ、後々に出てくるジェームズの異常性(他の隊員との感覚の違い)が引き立っています。

この映画で、主人公ジェームズは爆弾の処理をまるで楽しんでいるかのように描かれます。爆発するかもしれない爆弾の解体というスリルが、まるで麻薬のような異常性と常習性を帯びているかのように。その部分だけを切り取って常軌を逸した人間の末路としてレッテル張りをしてしまうことは非常に簡単です。ただ、戦争という大局の中で、爆弾処理班の一個人の物語としてこの映画を見てしまうのも、なんだかもったいない気がしてしまいます。

この映画の象徴的な場面として、ジェームズがイラクの赴任期間を終えて家に帰り、寝室で幼い息子と話すシーンがあります。息子は1歳くらいで、彼が話す言葉をまだ理解はできません。なのに、ジェームズは語り続けます。人はたくさん大切なものがあるはずなのに、年を重ねていくごとにその数がどんどん減っていってしまう、と。今の自分にとって、もう1つしか大切なものがないのだ、と。

僕はジェームズを見ていて、どうも爆弾処理のスリルにとりつかれた人とは思えなかったんですね。彼が人体に仕掛けられた爆弾を解体するシーンが象徴的で、彼は怒りを抑えているのでしょうが淡々と解体していくんですよ。どうも、彼は戦争にのめり込んでいるというのではなく、爆弾処理という職業にとりつかれているように見えてしまったのです。簡単に言えば、ワーカホリック。プライベートを振り返らず、仕事に没頭する姿。仕事とプライベートの狭間に葛藤があるからこそ、少年がいなくなってしまったことに対して過敏に反応してしまったのではないでしょうか。怒りではなく、自分のなかにある贖罪意識のような。

ジェームズは最終的にまた戦場へ戻ってしまいます。その姿が、僕にはとても悲しく見えてしまいました。爆弾処理にしか、彼は居場所を見出すことができなかったのでしょうか。家での生活の顔と、仕事へ向かう顔の対比がとても印象的でした。

デートムービーとしてはちょっとそぐわないかもしれませんが、劇場で見てみて損はない映画です。

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『アンヴィル』 at 早稲田松竹

就職して関東圏に住みだしてからお世話になっている方より、久しぶりに連絡がありました。しばらく連絡を取っていなくて、先日メールしたら宛先不明で返ってきて若干ブルーな気持ちになっていたので、ほっと一安心(笑)今は高田馬場にある早稲田松竹で働かれているとのことで、「遊びにどうぞ」とおっしゃって頂いたので早速ラインナップをチェック。

むむむ……!

ナゼ今まで存在を知らなかったのだろうと後悔してしまうくらいにステキなラインナップじゃないですか。名画座と聴いていたのでかなり昔の映画をイメージしていたのですが、全然違います。今後の予定はこちらを。これは一度足を運んでおかなくてはということで、けんちゃんを誘って早速行ってきました。

劇場自体はふつうの映画館と比べるとちょっと小さめですが、こぎれいでイスも座りやすいものです。男女ともにひとりで見に来られている方が多くてビックリしました。そこはさすが名画座。映画好きな雰囲気を醸し出す方がたくさんいらっしゃいます。もちろん、駅から近くてアクセスしやすいこともあってか、ご夫婦やカップル、友達同士など、複数で来られている方もおおぜい。土曜日だったので劇場は満員でした。たしかにこのラインナップだと満員になるわね。

んで。

今回見てきたのがこれです。

アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち
監督:サーシャ・カヴァジ

80年代初頭、スラッシュ・メタルの旗手として脚光を浴び、多くのバンドからもリスペクトされたカナダのへヴィ・メタル・バンド“アンヴィル”。1984年には日本で開かれたロック・フェスに出演し、大観衆の前で熱演。そしていま、アンヴィルのヴォーカルでリーダーのスティーヴは、給食配給センターで働いている。結成時以来のメンバーで親友のロブは無職だ。バンドは続けているが、かつての人気はない。そんな彼らに、ヨーロッパツアーの話が舞い込んだ。2人は再起をかけるが…。
goo映画 「『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』作品解説・紹介」(2010.2.22)

一度脚光を浴びてスターダムの仲間入りを果たしたにもかかわらず、その後泣かず飛ばず。結局音楽では食べていけず、50代になっても家族の支えで生活しながら音楽を続けているロックなおじさんたち。

夢追い人なんてかっこいい!とか、口が裂けても言えません。彼らには到底及びませんが、我が家も兄弟揃って夢追い人的気質があります。母親には「他人ならいいけど、夢を追うやつはうちにはいらない」と言われます。そんなことを言われても追わなくなることはないのですが。

まぁ、何が言いたいのかというと、「やりたくない仕事はしたくない」とか「好きなことを仕事にしたい」なんて思っている人は、とりあえず見てみればいいんじゃないかなぁってことです。別に、これを見て堅実さを目指せとか言う気はまったくありません。ただ、自らの道に進むということは、周りの人間も自ずとその道へ巻き込んでしまうことを自覚しなければならないということです。脚光を浴びないにもかかわらず継続を選択することは、周りの理解があって初めて成り立つものです。

こんなところまで書きながら、実はいちばん印象に残っているのが別のシーンだったりするんですけどね。ま、あんまり書くとちょっとリアルなのでこの辺にしておきます。

とりあえず、早稲田松竹はこれからお世話になりそうです。

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『Dr.パルナサスの鏡』

先日けんちゃんと話していて、映画『ソラニン』のHPがやばいという旨を聴きました。帰宅して確認してみると、なるほど、確かにやばい。ってか、原作を読んでいるだけに予告編だけでじわっときてしまいます。主題歌を歌うのは、彼ら以外はいないだろうと思っていたらまさにその通りになってしまったASIAN KUNG-FU GENERATION。春の邦画としては期待度No.1です。

どうやらけんちゃんがiPhoneで映画を過剰摂取しているようで、負けじと劇場へ足を運んでみました。

Dr.パルナサスの鏡
監督:テリー・ギリアム
出演:ヒース・レジャー、クリストファー・プラマー、ヴァーン・トロイヤー、アンドリュー・ガーフィールド

現代のロンドンに奇妙な舞台と旅芸人の一座が現れる。1000歳以上という老人のパルナサス博士、娘のヴァレンティナ、曲芸師のアントン、そして小人のパーシーが一座のメンバーだ。ある晩、博士の前に悪魔のニックが現れる。博士はかつて悪魔と不死と引き換えに、「娘が16歳になったら差し出す」取引をしていた。一方、ヴァレンティナは橋で若い男トニーを助ける。記憶喪失の彼はそのまま一座に加わるが、それは悪魔の企みだった。
goo映画 「Dr.パルナサスの鏡」作品解説・紹介 (2010.02.1)

テリー・ギリアム監督の世界にそのまま入っていくことができるか否かで、まず受け入れ可否が決まってしまう本作品。上記の通り、ロンドンの旅芸人一座が物語の舞台です。ただ、この旅芸人一座が一体何者なのか、なぜパルナサス博士と悪魔が取引をすることとなったのか。あらましは回想シーンで出てくるのですが、詳細な事情や背景は説明してくれません。最初はどうしても気になってしまう部分ですが、そこはさすがギリアム節。テンポのよい展開で、そんなところをすっ飛ばしても映画の中の世界に浸れるような作りになっています。

この映画は、博士が悪魔と取引をすることで物語が展開していきます。取引とは、博士の鏡、幻想館の中で、入った人を博士側と悪魔側のどちらに引き込むことができるか、その人数を競う“賭”です。博士の用意した道を選択して悟りを開くか、悪魔の誘いに乗って死へと導かれるか。鏡の中へ足を踏み入れた者には、必ず彼らの用意した二者択一のルートが設定されているのです。

入るか入らないか、右か左か、善か悪か、YesかNoか、博士か悪魔か。鏡の中は2つのルート分岐から必ずどちらか片方を選択しなければなりません。僕はどうも、この二元論で進む物語の設定に、この映画の仕掛けが隠れているような気がします。ギリアム監督は、とかく二元論に終始しがちな今の世を嘲笑したかったのではないか、と。

イエスかノー、白か黒の二元論でしか判断できない(それがよしとされる)状況や風潮は、とても恐いことのように思えます。誰しもがどちらかを選ぶことを、既に選択されてしまっているからです。ゲームボードに乗っていることが前提で物事が進められていき、どうしようもなくどちらかを‘選ばざるをえなかった’状況に対して自己責任論をぶつけるのは、社会のシステムが機能していない証拠です。にもかかわらず、世間を見ると二元論法が跋扈していて、自分自身を省みても結構そういう思考に陥っていたりもします。

イエスとノー以外に、「ゲームボード自体に乗らない」とか「降りてしまう」「新たなゲームボードを用意するために集結する」といった選択肢を持てるような社会が求められているのではないかと、この映画は皮肉っているように感じてしまいました。なぜなら、結局ゲームボードを用意した側が悪びれもせず後の世界に存在しているからです。娘を賭の対象として愚かな選択をしたオトコどもを始末した彼らは、最終的にそれ自体を商売にしてしまいます。『キャピタリズム』を見てしまったからでしょうか。僕はこの状況を見て、まさに80~90年代のアメリカン金融を風刺しているようなイメージをしてしまったのです。

一方で、見た人によっては全然違うイメージを抱いていたりもしました。とある人はこの映画を「娘を嫁に出す、娘の幸せを願う父親の映画なのだ」と指摘しました。鏡によって悪いオトコを排除して、幸せな家庭を築いてもらえるよう努力する父親の映画なのだ、と。

むむむ、なるほど。指摘されたとき、そのイメージが僕の中に全くなくてなんだか悔しい気分になったりもしました。雰囲気からしてもそんなハートウォーミングな想像はできませんでしたよ。もうちょっとPureなフィルターを持たないといけませんね。こうして比べると、完全に歪んでるやん(笑)

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『キャピタリズム~マネーは踊る~』

今年の劇場初め。

キャピタリズム~マネーは踊る~
監督:マイケル・ムーア

「金持ちを救うために税金が使われている」。リーマン・ブラザーズの破綻で世間から注目を浴びたサブプライム・ローンの裏側を見るドキュメンタリーです。監督は『ボウリング・フォー・コロンバイン』で銃社会、『シッコ』で医療問題を題材としたマイケル・ムーア。現在の「資本主義」がどのようなものかを、彼自身がまさに体当たり取材しています。

結構笑えない話ですよ、これ。日本でも形は違えど同じようなことが起こっているのは事実です。放漫経営の銀行や航空会社に間接的とはいえ税金が投入されるケースは新聞を見ると一目瞭然。あ、航空会社はまだ正式決定ではなかったですね。失敬失敬。

各サイトに解説にもある通り、この映画は「資本主義=民主主義」ではなくなっていることを表しています。少数のものが大多数を占めるのが本当に民主主義なのか、と。新自由主義なる言葉は字幕で出てこなかったように思いますが、過剰な金融経済偏向とそれを可能とした権力側のなり下がりが指摘されています。つまり、国家権力が金融経済のなかのシステムのひとつとして機能しているというのです。なるほど。たしかにここ10年のアメリカ政府の財務関連要職者を見ていると納得のことです。

まぁ日本も同じようなもんですね。と、あんまり政治的なことは書かないようにしているのでこの辺で収めておきます。この映画、ビックリしたのは劇場にいつもより外国の方がたくさんいらっしゃったことです。そりゃ日本人は興味ないかもしれないですが、世界的不況がここから来てたのかもしれないってことを知っておくのも大事なのかもしれません。日本の場合は不況じゃなくて社会構造と実態が合致しなくなっているだけのようですが。

うーん、次はもうちょっとハッピーな映画を見よう。

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年の瀬にて。

実家に来ました。うちは転勤族で今の家には僕自身実質2年弱程度しか生活していないので、地元感はまったくありません。でも、実家に来てみるといつもとはちょっと違う時間の流れ方で、ゆっくりと普段はできないようなことを考えながら過ごせそうです。年賀状を実家で書こうと思いながら、住所録を家に忘れてきたので年内に年賀状を書けそうにありません。寒中見舞いにしよう。

今年はもうこれ以上映画を見ないと思うので、今年見た映画をちょっと整理しておこうかな、と。

一応TOP3形式っぽくしてみたけど、この3作は序列を付けることのできるほど差はありません。どれもステキ。

では、1本目。一応第3位。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
これはおそらく外せないでしょう。シンジくんがそれまでのエヴァ像を破壊するようなセリフを言うんですよね。また、TV版のイメージを壊すための仕掛けがいたるところにあって、瞬きできない展開。僕としては、そこがたまりませんでした。映像も『序』と同様に美しく、しなやかな動きをしています。DVDでも十二分に楽しめる1作です。

2本目、一応第2位。

『戦場でワルツを』
ゴールデングローブ賞の外国語映画賞を受賞したこの映画。アカデミーでも外国語部門では『おくりびと』よりも本命視されていた作品です。1982年のレバノン内戦をアル・フォルマン監督の記憶を辿ることで描かれるドキュメンタリータッチのアニメーション映画です。中東問題にはそれほど詳しくないのですが、戦争をテーマに扱う映画では新しい視点のものだと思います。凄惨な状況に居合わせた記憶を取り戻していくとともに、ひとりの歩兵から見た戦争の姿をくっきりと映し出します。タイトルの‘ワルツ’は、銃を乱射しながら突入していくステップを形容したものです。最後に報道映像の実写シーンを登場させるのがほんと、すごいです。

最後、一応第1位

『サマー・ウォーズ』
今年の映画では、やっぱりこれが外せないでしょう。もう、とても気持ちのいい映画です。この映画については見た後にいろいろ書いてしまったので、今さらもういいかな、と。どのくらいかというとこのくらい。書きすぎ。でも、これを書かずにはおれなかった、そのくらい熱い映画だったのです。素晴らしい。

並べてみると、あらま。今年はアニメーション映画ばかりですね。実写映画は『チェンジリング』とか『引き出しの中のラブレター』とか『グラン・トリノ』とかいい映画がたくさんあったんですが、3つ選んでみるとこうなってしまいました。

今年は思ってたより映画を見れなかったので、今年はTOHOシネマズのカードも作ったことだしもう少し劇場に足を運ぼうかな。今年は月3本ペースでした。来年はもっといい映画がたくさん出てくるといいな。年明けはとりあえず『アバター』を見て、あとは月末の『ゴールデンスランバー』に、『おとうと』、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』辺りでしょうか。

ん??

結構たくさんあるなぁ。。。

みなさん、今年の映画、何が面白かったでしょう??

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うげ。

書いてたエントリーを間違えて全部消してしまった。。。

もう1度書き直す気力がないので、メモ的に。

映画を3本見ました。

『イングロリアス・バスターズ』
監督:クエンティン・タランティーノ

「こんなに史実に基づいてない映画は初めて」との前評判はぴったり。ばったばったと登場人物を殺していくタランティーノ節は今回も健在です。ただ、どうも納得いかないのがブラット・ピットがなぁ。彼だけが登場人物のなかで相関関係を持たない神の視点を持っているんですよね。その存在で物語は丸く収まるのかもしれませんが、どうもそれが気に食わない。まぁ、面白かったんですけど。

『カールじいさんの空飛ぶ家』
監督:ピート・ドクター

開始5分から涙が止まりませんでした。最初のおじいさんとおばあさんの馴れ初めのシーンが無音で進んでいくのはたまりません。ただ、どうもPR番組で宮崎映画と比べられているようですが、どうもよくわかりません。だって、この映画は宮崎アニメと全然違いますから。完全にピクサーカラーなので。はっきり言うと、焦点がぼやけてるんですよね。少年とおじいさんと、何を主題にしてその後どう変わっていったのかがよくわからないんですよ。例えば、『千と千尋』では千尋もハクもどんどん変わっていきましたよね。情緒は描いてくれるんですが、その先にあるものは結局描いてくれなかったのが消化不良なんです。

ただ、ジョン・ラセターとピクサーのとてつもない力には感服いたしました。

『パブリック・エネミーズ』
監督:マイケル・マン

ジョニー・デップのPVのような映画でした。見終わっても何も残らないのが消化不良というか、完全不満です。PRの仕方が映画の中身と全然違うのはちょっとなぁ。なんだかよくある古きよきハリウッド映画といった感じ。

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「フロスト×ニクソン」

仕事がようやくスタートラインの3歩手前くらいまでやってきました。とりあえず、おぼろげながらスタートがちらつくくらい見える位置。何も見えてなかった頃よりはマシです。ちょっとずつやってきます。いかんなー、仕事してる感じがする。もっと遊ばないと。

ということで、映画を1本。

フロスト×ニクソン
監督:ロン・ハワード
出演:フランク・ランジェラ、マイケル・シーン、ケビン・ベーコン

ウォーターゲート事件で失脚したニクソン大統領。その辞任中継の視聴率の高さに目をつけた人気テレビ司会者・フロストは、ニクソンへの1対1のインタ ビュー番組を企画。ニクソン側も扱いやすいフロスト相手のインタビューを名誉回復の機会ととらえ、法外なギャラで出演契約を結んだ。フロストは事件に対す る謝罪の言葉を引き出すべく、ゼルニックとレストンをブレーンに迎え、質問の練り上げ作業に入るのだが……。
goo映画 「フロスト×ニクソン」作品解説・紹介 (2009.10.27)

高視聴率トークショー番組の司会者が、ウォーターゲート事件による失脚からの再起を図るリチャード・ニクソンにインタビューを行った番組の裏側を紐解いていく映画です。4回に分けて行ったインタビューを通じて見える、鈍い音がする素手での殴りあいのようなやり取りは非常に迫力ありです。

画面の質感が『アポロ13』みたいな気がして、「さすがはロン・ハワードだなぁ」なんてわかったようなことを考えてニンマリとしてみたり。ただ、個人的には私財を投げ打っても首が回らず資金集めに奔走する面と、インタビューへの対策としての面をもうちょっとひとつにできないのかなぁと思ってしまいました。

この映画は、番組終了後に関係者へ行ったインタビューからの回想で作られています。デビッド・フロストとリチャード・ニクソン以外の人間に対するインタビューによって、2人のインタビューに臨んだ姿への感想をぶつけていきます。デビッド・フロストはひとりで資金集めに奔走していたので、スタッフのコメントからはロクな準備もしていないでグダグダな負けっぷりの醜態をさらす彼に厳しい意見がありました。一方で、レギュラー番組打ち切りや資金が足らずに苦悩する彼の姿も描かれます。

番組を作るうえでは双方が両立して成り立つので、もっとフロストの苦悩をがっつり描き出してほしかったなぁと思ってしまうのは、テレビ慣れしてしまった僕の感覚なのでしょうか。今からよく考えると回想からの構成であったので、そのくらいの距離感がちょうどいいのかもしれません。

最近余り頭を使わないで見れる映画ばかりを見ていたので、新鮮です。

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